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地球温暖化に対して、私たち一人ひとりの人間は何ができるのだろう。こんな疑問に対して国、自治体などから多くの冊子やパンフレットが出ている。
その中に書かれている代表的なものをあげると「冷房の設定温度を1℃上げ、暖房の設定温度を1℃下げましょう」「空き缶はリサイクルに」「電気こたつの下には敷布団を」「人のいない部屋の電気は消しましょう」「自動車の不要なアイドリングをやめましょう」などなど、である。良く聞く言葉で、お子様に言い聞かせている方も多いだろう。
これらは環境に負荷をかけない生活の具体的な方法のアイデア集。ただ、総じて「環境を守るために、便利で豊かな生活をちょっと我慢をしよう」という視点がある。
公共広告機構のCMでも「地球を守るために、ちょっと我慢を」と呼びかけている。それ自体は全くおかしい事では無い。ただし、ここで考えなければならないことが2つある。まず「我慢」をずっと続けることができるのか、ということである。
地球温暖化への対応は例えば今年1年だけやればいいというものではない。これから生きている間やり続けなければならない、しかも我慢をしなければならない事はより多く、より強くなるであろう。果たして、これまで気楽に生きてきた我々の我慢は続くであろうか。
もうひとつは、環境に過剰な負荷をかけない生活(仮に「エコロジカルな生活」と略す)は、我慢する生活であろうか、ということである。
環境問題の講座に集まる人々に対してエコロジカルな生活は、プラスイメージかマイナスイメージかアンケートを取ってみると、たいてい7割程度の人はマイナスイメージ。環境に関心のある人達でもこの結果である。おそらく一般的には、もっとマイナスが多くなるであろう。
このエコロジカルな生活=現在の生活よりマイナス、という視点が「我慢する」という考えを生んでいる。我慢というのは、ある目的(この場合は温暖化に対応するために)ほんとうはしたいことをしないようにする、または、したくないこと・邪魔臭いことを敢えてする、という図式が出来上がってしまう事に他ならない。
ある日のチョイス
ではエコロジカルな生活は我慢しなければならないのか、良くある日常から考えてみよう。のどが渇いたので紅茶(コーヒーでもお茶でもジュースでも、好きなものに置き換えて考えて下さい)を飲もうとする。この時、紅茶を手に入れる方法として缶入り・ペットボトル入り・ティーバッグ・リーフティーの中から選択するとしよう。
上の選択肢4つの中に、香りとおいしさは個人の感性だから多少の異論はあるかもしれないが、値段が安くて、ゴミ量が少なくて、おいしいものがある。
反対に値段が高くてごみ量が多くて、おいしくないものもある。ごみ量が多いだけでなく輸送を考えても、缶とペットボトル入りはエネルギーを多く使い、温暖化をすすめる二酸化炭素を多く出す。ここでは触れないが、何にしても自動販売機は環境負荷が高すぎる。
どちらを選ぶのか、これがライフスタイルを形作る。それでも缶やペット入りを選ぶという人の理由は、まさか格好良いと言う訳でも無く、便利だから面倒だからという事であろう。
しかし生活の豊かさはどちらにあるのか考えて頂きたい。私達は家庭でも職場でも、おいしいお茶を飲みながら語らう少しの時間を失ったのでは無いだろうか。お茶を自らいれるほんの数分を惜しみ、そのために資源と金を無駄遣いし温暖化をすすめているのでは無いだろうか。
外出するときも、その日最も飲みたい飲料を水筒にいれていく『ゆとり』があれば、それこそ自動販売機を探す手間もなく、いつでもお気に入りのモノを飲むことができる。
そうでは無く、缶入りやペットボトル入りものを飲んで、リサイクルしなければと考えるから、心に負担=マイナスイメージ=我慢、となるのでは無いだろうか。
これは一つの例にしか過ぎないが、生活の場面で私たちが同様の選択をしていることに思い当たるとは思うが如何だろう。
トータルエネルギーの抑制には、省エネだけで無く、創エネルギー・省設備と言う考え方も必要。選択肢、結構ありますね。 |
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価値観の変動
地球温暖化など様々な深刻な環境問題に対して、私たちが変える必要があるのは、生活の方法、態度よりも、その生活の豊かさの価値観(何に豊かさを感じるのかその視点)では無いだろうか。
価値観を変えずに方法、態度を変えても、付け焼き刃にすぎず、我慢の限界はすぐに訪れる。
価値観が変われば、我慢ではなく、エコロジカルな生活をすることの方が豊かに楽しく感じるので選びたくて、選ぶようになるのでは無いだろうか。
私たちの社会は限りのない成長を前提としている。限りのない成長は、限りのない経済的拡大を意味し、大量生産・大量消費・大量廃棄(それを補完する大量リサイクル)社会を生みだし、果ては地球規模の環境問題・南北問題・暴力的社会の根本的原因となり、人類の生存さえ危うくしている。
それなのに、この限りのない成長が、私たちの豊かさや幸福をもたらすという価値観を捨てられないでいる。この価値観であるかぎり、どんなに技術的な対応や生活の工夫をしたところで通産省の言うように、温暖化ガスの発生を削減するどころか「抑制」することさえ難しいと思われてならない。
もちろんそれは、一人ひとりの人間でも同じである。
例えば住宅における断熱というカテゴリーの位置づけ
あえて言えば住宅の断熱の目的は、CO2の削減では無い。健康的に快適に暮らせ
る事を前提とし、その上で結果としてCO2の削減や環境負荷の低減に
も寄与するべき技術だと考える。
断熱と言うのは、熱を断つと書く。この考え方を間違って捉えると安易に、断熱=環境保護の様なコマーシャルになる。そして、環境保護と言う大義から、そのLCA等が全く軽視される結果となるのでは無いだろうか。
=LCAとは、ライフサイクルアセスメントの略語=
存在する商品(製品)やサービスを対象にして、その製造時から、廃棄時までの全ての環境負荷を、総合的に考える手法の事です。 |
まず断熱の基本は 壁・床・天井、そして開口部、それら建物を構成するモノを、限りなく室温に近づけてあげる事を目的とし、壁や天井などそのものズバリを温めたり冷やしたりする。そしてそれが
結果的に快適に繋がる。その大儀の為に性能を求めると定義したい。
夏涼しく、冬暖かく、結露やカビを心配する事ない、健康的で冷暖房コストが小さく済む暮らしやすい住空間。それが引いてはランニングコストを抑え、(灯油等エネルギーを抑え)しかも環境負荷の低減に繋がるのだ。その為の技術でありコストである。
ほら、そこに我慢と言う言葉は存在しない事が、お解り頂けると思う。
価値観の変換と成果
しかし価値観を変えていくには、具体的な行動とその成果を感じることが必要である。その個人の行動が、大量生産・大量消費・大量廃棄社会を変える力も、持ちうるという可能性も大きいだろう。また豊かな地域づくりも可能であることも。
私達を取り巻く環境を考えた場合、目的の明確化は必要だろう。ともするとそれは『地球温暖化防止』や『CO2削減』などと最終目的の様に捉えられる事が多い。
しかし本来の目的は、地球と社会の持続可能性の達成であり、温暖化防止はその中の一つのテーマでしか無い。宇宙船地球号の中の一部屋である日本。乗組員は私達地球人全員である。
しかし持続可能性の足かせになるだろう地球温暖化などがもたらす被害は、人類の存亡にかかわるモノには違いない。
そしてその心の変革は、決して我慢することではない。
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